返答に窮するカイトへ助け船を出したのは、乾杯を済ませた後は表情を動かすこともなく寡黙に料理を口へ運ぶだけに専念していたインテンサだった。
「シーマ陛下。戯れは、その程度になさるがよろしいでしょう」
インテンサの良く通るバリトンボイスがシーマに向けられるが、シーマの微笑が崩れることはなかった。
「インテンサ卿。卿には戯れに聞こえたかもしれんが、ヴァルキュリャ卿とトゥアタラ卿にとってはそうでもないようだ」
「であるなら実に嘆かわしい。我ら魔道士から忠誠を除いてしまえば、残るのは暴力のみ」 「そんなに悲しい存在かね、魔道士とは」微笑を浮かべたままのシーマが問いを向けると、インテンサは毅然たる態度ですぐさま答えた。
「如何にも。魔道士とは悲しい存在であるが故に、その忠誠は輝くのです」
断言してみせるインテンサの、ロマンスグレーな魅力を放つ壮年の揺るがぬ態度にカイトは見惚れた。
シーマがゆったりとしたうなずきをインテンサに返してから会話を続ける。「流石はゲルマニア帝国の屋台骨を二百年に渡って支え続ける、グンペルト家の現当主たるインテンサ卿の言葉だ。卿の信念は実に素晴らしい。だが、魔道士はその歪んだ呪縛から解き放たれるべき時を迎えている。今のテルスには悲しいことに卿の信念に見合う国が存在しないからだ」
シーマの物言いにインテンサはすぐさま反論した。
「それは異な事を仰る。では、セナート帝国は如何に」
「このセナートも例外ではない。未だ途上だ。余が帝位に就いたのは準備に過ぎない」 「準備……? 何を準備しておられる?」 「魔道士を解放するための準備だ。我らは生体兵器などという穢らわしく悍ましい存在では決して無い」シーマが口にした「解放」という言葉に反応して、ウアイラの紅い瞳には鈍い光が宿り、シロンはゆっくりとまぶたを閉じた。
強い言葉だと思ったカイトは、同時に強すぎる言葉だとも感じた。 シーマは微笑を浮かべたまま言葉を続けた。「そう遠くはない未来、魔道士に取って代わる兵器が誕生するだろう。そうなれば国防を担う魔道士団という仕組みは瓦解し、魔道士は全権代理人という立場を失う。残るのは魔道士への忌諱のみ。魔道士は暗黒時代の魔女のように狩りの対象となる。カイト卿、卿は余の言葉を的外れだと思うかね」
シーマに見解を求められたカイトは「ここは正直に答えるしかない」と判断した。
「……近い将来、その危惧は現実のものとなる、かもしれません」
「カイト卿のいた世界はこのテルスとよく似ていて、しかもテルスより進んだ世界であるとダイキ卿より聞いている」 「はい。似ています。そして……俺がいた時代からみて、この世界はおよそ百三十年ほど前と合致しています」カイトが打ち明けた「百三十年前」という言葉を聞いたシロンは閉じていたまぶたをゆっくりと開け、目を見開いたウアイラの紅い瞳は熱を帯びた。
円卓を囲む首席魔道士たちの視線を感じながら、カイトは答えの続きを口にした。「俺がいた世界での魔法は、実在する力ではなかったので単純に比較はできません。それでも、このままの発展が六十年ほど続けばこの世界でも、人類が終末兵器を誕生させてしまう可能性は、否定できません……」
インテンサは沈着な灰色の瞳でカイトをまっすぐに見つめながら問い掛けた。
「カイト卿。その終末兵器とは、具体的にはどういったものですか……?」
大量破壊兵器という言い方を避けて終末兵器と表現したカイトは原子爆弾を想定して、インテンサの問いに答えた。
「強大で無慈悲な爆弾です。一つの爆弾で大都市を壊滅させ、その後に降る死の雨も含め、数十万の人間を殺し尽くします……」
「……そんなものを人間が作れたとしても、実際に使えるものですか?」 「俺がいた世界では、実際に使われてしまいました」カイトが静かに口にした答えを聞いたインテンサは、息を呑む自分の反応を隠すようにゆっくりと口元に手をやった。
冷静沈着を地で行くインテンサですらその驚きを隠しきれない「終末兵器」という、この世界には未だ存在しない定義へと会話が進むことを予期していたように薄い笑みを浮かべるシーマがおもむろに口を開いた。「我々魔道士が、その悲惨な未来を変えなくてはならない。時代という大きな流れを変えることが適うのは魔道士のみ。そして、その流れを変えるのは今、この時であるべきなのだ。テルスと酷似した世界での未来を見ているカイト卿とダイキ卿の存在はこのテルスを、我ら神祖の流れを汲む魔道士たちの手で変えてみせよというドラゴンの意思に他ならない」 シーマが放つ言葉の力が増していると感じたカイトは、首肯してしまいそうになる自分へ抗うために先ず確認することを選んだ。「流れを変える、というのは具体的にどんな行動を指しているんですか?」「魔道士が統治者として世界を導く流れを作る。悍ましい兵器や世界を汚染する化学の産物の開発を止めるには、その枠組みが最も効果的で早期の実現が望める」 カイトの問いも予期していたようにシーマはすぐさま答えを返した。 今の自分はこの会話の流れを変える力すら持っていないと感じながらもカイトは確認するための問いを重ねた。「この世界で影響力を持つ列強各国の王位を、魔道士が簒奪するように仕向ける……と聞こえますが」「その通りだよ、カイト卿。世界を望むべく姿へと魔道士が導くという新たな流れは、強大な兵器を開発する土台となるであろう大国から始まるのが望ましい」「晩餐会のゲストとして、列強の首席魔道士たちを集めたのは、この話をするためですか……?」「正しく、この晩餐会は世界を変える「始まりの宴」となるのだ」 カイトの問いに答えるという形の中で、シーマが今宵の祝賀晩餐会における真の趣旨を明かした。 シーマがこの世界に対して「戦火の始まり」を宣言したようにも聞こえたカイトは「魔王に向かって自分の意思を示さないといけない局面」だと覚悟を決め、シーマに対して言い返した。「その方法は世界に大きな混乱を招くことになります……多くの血も流れることになるでしょう」 カイトの覚悟を労うような微笑を浮かべたシーマがすんなりと答えてみせる。「当然だ。旧い体制の破壊と意識を変革するための混沌。その果てにこそ新たな秩序は産まれる。ゆえに産みの苦しみ味わうは必然。カイト卿、卿の云うその血の量
カイトが否定できず肯定もできないシーマの示した未来への布石を、真っ向から否定したのはインテンサだった。「もっともらしい言葉を重ねたところで根幹は仮想に過ぎませんな。仮想に基づく犠牲を根拠に、それよりも少ないという理由で実際の犠牲を生むなど決してあってはならない愚行」 はっきりと言い切ったインテンサの静かだが鋭い語気を受けても、シーマの余裕を持った表情はまったく変わらなかった。「余は仮想を否定せずに用いる。仮想を裏付けるカイト卿とダイキ卿の存在もある」 悠然と答えるシーマに対し、インテンサはすぐさま反論を重ねた。「カイト卿のいた世界がこのテルスといくら似ていようとも、あくまでも別の世界。裏付けには成り得ません」「想像力だ。多くの犠牲を回避するために必要となるのは想像力なのだよ、インテンサ卿。今まさに我らの想像力が試されているのだ」 シーマが強調した「想像力」という言葉に反応し、紅い瞳をギラつかせたウアイラが口を開いた。「俺の想像力は……立ち上がれと言っている」 ウアイラが発した言葉の意味を詰問するように、真っ先に応じたのもインテンサだった。「正気か、ウアイラ卿」「目の前の利益と己の保身にしか興味がない王侯貴族に、想像力など期待できないでしょう。だったら俺が、代わりに想像してやるしかない」「私は、止めるぞ」 ギラつく紅い瞳を灰色の瞳で見据えながら断言したインテンサを、不敵に睨み返したウアイラは挑発を口にした。「内政干渉でもしようって言うんですかい」 ウアイラの挑発を受けても堂々とした態度を崩さずにインテンサは答えた。「隣国の首席魔道士として、いや、祖国に忠誠を誓った魔道士の一人として決して見過ごすことはできん」「内政に干渉しようってんなら、戦争しかないでしょうな」 戦争を口にしたウアイラの紅い瞳が、妖しい光を帯びるのを見たシロンが口を挟んだ。「ウアイラ卿。祝賀の場にそぐわぬ不穏当な発言は控えられよ」 シロンの凛としながらも女性のやわらかさを含んだ声は、場を空気を掌握する力を持っていた。 毅然としたシロンの姿に接したカイトは、これが「魔道士の模範」とも呼ばれ、多くの魔道士や市民から尊敬を集める女性なのかと胸のうちで感嘆した。 シロンはゆったりとした所作で視線をウアイラからシーマへと移した。 三十四歳の円熟した女性にしか出せ
カイトが「火種」と感じたシーマの「想像力」は、カイトの予感を嘲笑うかのように苛烈な疾さで「引火」した。 地球と酷似する地形をもつ異世界テルスにあって十九世紀のイタリア王国とほぼ合致する国土を擁するビタリ王国。 魔道士の聖地であり、魔道士を制約する法規を司る総本山でもあるウァティカヌス聖皇国をその国土に内包するビタリ王国の王都ロームルス。 三千年の歴史を刻む世界的にも稀有な古都であるロームルスで最初の火は点った。 聖暦一八八九年が幕を下ろして次の年へとバトンを繋ごうとする十二月三十一日。 未だ夜明け前の暗がりの中にあって霧雨に濡れる王宮の表門に、一輛の馬車が乗り付けた。 馬車から降りた三人の姿に、表門に駐在する四人の門番たちの背筋が一斉にピンと張る。 三人はビタリ王国の筆頭魔道士団であるトリアイナ魔道士団の軍服を身に纏っていた。 深紅の地に銀糸の刺繍が施された軍服と同色のマント。マントにはトリアイナ魔道士団のシンボルである三叉槍のエンブレムが刺繍されており、その下に標されたナンバーは『Ⅰ』と『Ⅴ』と『Ⅵ』。 第五席次と第六席次を背負う魔道士は共に女性で、『Ⅰ』を背負った首席魔道士のウアイラにぴったりと寄り添うように立っている。 四人の門番のうちの一人が、恐縮を仕草に滲ませながらウアイラへと駆け寄った。「ウアイラ卿。大晦日の、それもこのような時間に、どうなされたのですか?」「陛下に用があってな」「陛下に!? そのような予定は聞いておりませんが……」「急を要する。通してくれ」「たとえウアイラ卿といえども、それはさすがにできません」 素直に困惑を顔に出しながらも役目を守ろうとする門番に対し、ウアイラは迷う様子もなく返答した。「そうか。では、致し方ない」 ウアイラが右手を門番にかざし「アルデンド」と短く詠唱する。 次の瞬間には門番が発火していた。 断末魔の叫びをあげることさえ叶わずに門番が燃え上がる。 予期しようのない突然の事態を前にして、呆気にとられることしかできない他の門番たちへ右の手のひらを向けたウアイラが、三度「アルデンド」と早口に連続して詠唱を済ませる。 瞬時に燃え上がり四つの炎の塊となった門番たちには目もくれず、ウアイラは第五席次の女性へ声をかけた。「ジュリエッタ。ここは任せた」「はーい。いってらっしゃい」 眼
ビタリ王国の国防を担い軍事力を示す象徴的存在でもある筆頭魔道士団を率いて、トリアイナ魔道士団の首席魔道士ウアイラが王都ロームルスで国王と王族の殺害に及んだという意味では、クーデターに近い謀反を起こした一八八九年の大晦日の早朝。 地球でのイタリアと酷似した国土を持つビタリ王国で、中部に位置するイタリアの首都ローマとほぼ同じ位置にある王都ロームルスから北西に四百キロメートルほど離れた、イタリアでいえばジェノバとほぼ同じ位置に国土を有すウァティカヌス聖皇国でも一つの事件が起こった。 サン・フィデス大聖堂からも程近い聖皇国の中心地にあるホテルの二階に、旅行客に扮したシャマルの姿があった。 ビタリ王国の第三王女であるソフィアが滞在する客室の前に立ったシャマルが「ラーミナ・ウエンティー」と最小限の声量で詠唱を済ませる。 自身が放った風の刃によってドアを破壊し、客室へと押し入ったシャマルを待ち構えていたのはイフリータだった。 火属性の召喚獣の一種である魔人イフリータは身の丈二メートルほどの女性の姿をしており、艶めかしい褐色の肌が透けて見える薄衣だけを纏わせている。 眼前にイフリータが立っているという想定外の事態に目を見開いたシャマルは「ここは一旦退くべきだ」と咄嗟に判断した。 「ラーミナ・ウエンティー!」 シャマルが詠唱しながらイフリータに向けて右手をかざし、風の刃を射出する。 凄まじい速度で迫る風の刃を、その軌道を読んだイフリータが炎を纏った拳で殴り飛ばす。「くっ……クッレレ……」 イフリータが難無く霧散させた風の刃を見て、逃走の時間稼ぎすら許されない焦りのまま自身を加速する魔法を詠唱しようとするシャマルに素速く接近したイフリータが、驚愕の表情を浮かべる横っ面を拳で殴りつけた。 物凄まじい威力の打撃によってシャマルは吹っ飛び、壁に打ちつけられる。 頸椎の骨折によって即死したシャマルを見下ろすアルトゥーラの視線は、蔑みを隠さない冷えきったものだった。「魔道士でありながら、その誉れを捨てて暗殺の真似事など……しかも殺気すら完全に消すことができない暗殺者もどき。戦場とは違う儀礼も制約もない戦闘への対応もお粗末ときた……」 アルトゥーラが侮蔑を口にしながらイフリータの召喚を解除すると、隣の寝室から恐る恐る顔を出したソフィアがか細い声でアルトゥーラの名
世界が大きく揺れ動く大戦の戦端となる『火の七日』がその年の三月に起こることなど知る由も無いカイトが、聖暦一八九〇年を迎えた元日の王都プログレは穏やかな冬晴れの下にあった。 大晦日にビタリ王国で起きた首席魔道士ウアイラが率いる筆頭魔道士団によるクーデターは、年をまたぐ周辺の国々には既に衝撃を与えていた。 長い歴史を誇り列強の一つにも数えられるビタリ王国での首席魔道士による王位の簒奪。それは二十一年前に起きた当時には大国ではなかったセナート帝国でのシーマによる帝位の簒奪よりも、大きな衝撃をもって報じられた。 電撃の報が未だ届くことなく元日を迎えた極東のミズガルズ王国では、王室主催の新年祝賀会が予定通りに催されていた。 ブレビス離宮を会場として正午から開催された祝賀会には、王族や有力な貴族と主要な政治家などが参席し、その中には当然に首席魔道士であるカイトの姿もあった。 王配であるケンゾーの孫として、サイオン公爵でもあるカイトの席は王族側に用意されていた。「なんの進展もないまま新年を迎えてしまうなんて、思いもしなかったです」 カイトの隣の席に座るヴェルデは頬をプクッと膨らませてみせた。 王太子の長女である王女殿下に対して、どう対応するのが正解なのかカイトは迷ったが一先ず詫びることにした。「すみません。何分まだ不慣れな仕事に追われていまして……」「忙しさを言い訳に使うのは出来ない男のすることですよ?」「そうですね……正直に言ってしまうと、俺は女性に対して奥手なんです」 性分を打ち明けるカイトにグッと顔を寄せたヴェルデは、真偽を確かめるようにカイトの目を覗き込んだ。「わたくし以外の女性とも進展はないんですね?」 ヴェルデの問い掛けに対して、ストーリアの顔が浮かんでしまったことを気付かれるわけにはいかないと焦ったカイトは真顔で返答した。「……ええ。ありません」 微妙な間を置いて答えたカイトの様子から女性の影を悟ったヴェルデだったが、敢えて問いただすことはしなかった。 「そうですか。なら許してあげます」「ありがとうございます」「ただ、男性が奥手なのは美徳ではありませんからね?」「肝に銘じておきます」 カイトの素直な返答に溜飲を下げたヴェルデは微笑みを浮かべてみせた。 翌一月二日の夕刻。 ミズガルズ王国の王宮内に用意されたカイトの執
「それは具体的に、ゲルマニア帝国かガリア共和国、あるいはブリタンニア連合王国が、魔道士団と自国の軍隊を動かす可能性がある……と考えておくべき情勢ってことでいいんでしょうか?」 見解に食い違いがあってはならないと思ったカイトが質問すると、セルシオは首を横に振った。「全否定はできませんが、各国が軍を動かす可能性は低いでしょう。聖皇陛下がウアイラ卿とトリアイナ魔道士団への断罪を裁定され、刑の執行人を指名するという形をとると思われます」「その場合、刑の執行人に指名されるのは……?」「魔道士が犯した罪に際して、聖皇陛下の裁定を受けて刑の執行人に指名されるのは、罪を犯した魔道士よりも上位の位階を持つ魔道士、というのが慣例となっております。二十一年前に太魔範士であるシーマ卿がセナート帝国の帝位を簒奪した際にも、当時の聖皇陛下がすでに太聖であった唯一の上位位階を持つエルヴァ卿を、刑の執行人として指名したと聞き及んでおります。エルヴァ卿が指名を拒否したために、表向きには聖皇陛下の裁定は下されなかったとされましたが」 聖皇の指名を拒否するなんて不敬も、飄々としたエルヴァならやってのけるんだろうと納得してしまったカイトは、自分がいま立っている立場をあらためて思い知ることになった。「ウアイラ卿は魔範士……それよりも上位の位階、となると……」 すでに予測できてしまったが、自分で明言することは避けたカイトの意を酌んだセルシオが代弁するように答えた。「世界に二十名しか存在しない魔範士の上位となれば、自ずとその対象は六名のみとなります。太聖であるエルヴァ卿、太魔範士であるカイト卿とシーマ卿、英魔範士であるヴァルキュリャ卿、インテンサ卿、トゥアタラ卿。指名を拒否する可能性が高いエルヴァ卿と、ウアイラ卿の後ろ盾となっているシーマ卿を除けば、残るは四名。執行の対象が単独ではなくトリアイナ魔道士団となれば、複数人の指名となるのが濃厚。以上を踏まえ、カイト卿が指名される可能性は極めて高いと思われます」 カイトは椅子の背もたれに寄りかかり、一度だけふうと短く息を吐いた。「俺が指名されたら、受けるべきですよね……」「……危険を伴う難しい判断ではありますが、そうしていただければ対外的なメリットが大きいのは確かです」「ミズガルズ王国の首席魔道士は、お飾りの太魔範士ではなかった対外的に証明で
聖皇の使者としてミズガルズ王国の王都プログレを訪れたヴェネーノは道すがらの露店で王宮の場所を尋ねたりなどしながら、軽快ではあるが先を急がない足取りで王宮までの道を歩いた。 前もって待機していたウァティカヌス聖皇国の公使と王宮で合流したヴェネーノは、王宮内にあるカイトの執務室まで案内されると公使を執務室の前に待たせて単身でカイトと面会した。「はじめまして。ロザリオ魔道士団の第五席次を預かるヴェネーノ・バラメーダと申します。本日は聖皇陛下の使者として参りました」 ヴェネーノは口上を済ませると、気さくな仕草でカイトへ右手を差し出した。「カイト・アナンです。どうぞ、お掛けください」 カイトが握手に応じてから応接用のソファをすすめる。 ソファに腰掛けたヴェネーノは懐から薄い封書を取り出すと、微笑を添えてカイトに手渡した。 封書を受け取ったカイトはペーパーナイフで封を切り、書状の内容を確認してからヴェネーノと向かい合うソファに腰掛けた。「御用向きは確かに承りました。返答はいつまでにすればよろしいでしょうか」 カイトの問い掛けにヴェネーノは微笑を浮かべたまま答えた。「私はプログレに三泊し、十八日の正午にはプログレを発つ予定でおります。それまでにいただけましたら」「分かりました。今回の執行にあたっての指名は、何人になりますか?」「はい。今回の指名は対象が個人ではなく筆頭魔道士団を対象にする稀有なケースとなっていますので、メーソンリー魔道士団の首席魔道士ヴァルキュリャ卿と、アイギス魔道士団の首席魔道士インテンサ卿も指名を受けております」 予測はできていたカイトだったが、実際にヴァルキュリャとインテンサの名を聞いて事態の大きさをあらためて実感した。「そうですか……なにぶん俺は初めてなので勝手が掴めていないのですが、単身で赴くものではないんでしょうね」「はい。個人への執行であっても指名された魔道士が単独で執行に当たることは、まずありません。特に今回は対象が複数、しかも筆頭魔道士団となっていますので……出来ましたらカイト卿を含め、四名でのご対応を、お願いしたいところではあります。ヴァルキュリャ卿とインテンサ卿にも同様の要請をお願いしております」 三人の首席魔道士に各々三人の同行を要請するという詳細を聞いたカイトは、敢えて驚きを素直に表した。「四名ですか
出そうと思えばすぐに出せる答えだと分かっているのに、どうにも答えを出すという踏ん切りがつかない。 葛藤と呼ぶにはいささか情けない堂々巡りを独りで繰り返しているうちに、窓の外では陽が傾き初めていることに気付いたカイトが「きょうはもう屋敷に帰ろう」と立ち上がったタイミングで執務室のドアがノックされた。「はい。どうぞ」 カイトがノックに応じるとドアを開けて顔を覗かせたのはアルテッツァだった。 いつものアルカイックスマイルで右手を軽く上げたアルテッツァは、カイトに向けてくいっとグラスを傾ける動作を見せた。「カイト卿。ちょっと一杯、付き合いませんか?」「いいですね」 少し気分を変えたくもあったカイトは、渡りに船とアルテッツァの誘いに二つ返事で応じた。 カイトとアルテッツァは連れ立って、王宮からは少し離れた歓楽街の中にある二人が行きつけとしているバーへ移動した。 アルテッツァが時折、気心の知れたマスターが営むバーへカイトを誘うようになった三ヶ月ほど前から定席となっている、奥のテーブル席に座った二人はウイスキーで乾杯した。 のどを灼くウイスキーが今のカイトには心地好く感じられた。「聖皇陛下の使者殿は、何か難しい条件を提示してきましたか?」 探りを入れるような会話は省いて初めから核心に触れてきたアルテッツァに対して、カイトは素直に答えを返した。「ええ、俺を含めて四人と、人数を指定されました」「そうですか。前提を確認しますが、聖皇陛下の指名には応じるんですね?」「はい。俺は行かなきゃならない。首席魔道士としてお飾りじゃないってことを証明する必要がありますから。問題は同行してもらうメンバーを誰にするか……それを考えてたところです」「でしたら、私とセリカで二名は決まりです」 前もって用意していた答えであることを隠す様子もなくアルテッツァは即答した。「……いいんですか?」「もちろんです。王都の防衛も今はノンノがいますし、何より、カイト卿が初陣に出るとなったときには、必ず同行すると決めていました」「ありがとうございます」「礼には及びません。私が勝手に決めていたことですから。私はダイキ卿を護れなかった……あの屈辱を忘れたことはありません。今度こそ必ず役に立つことを約束します」「心強いです。助かります」「どうか、お任せを。しかし……ダイキ卿は今、
アクーラが発した「ダイキ」の名に反応したカイトは、クラリティの前まで駆け寄ると父親の名前であるかを真っ先に確認した。「その、ダイキというのは、ダイキ・アナンですか?」「はい。聖魔道士であるダイキ・アナン卿です」「そうですか……」 言葉をつまらせたカイトへ寄り添うように、傍らへと歩み寄ったファセルが柔らかな声を掛ける。「カイト卿のお父様ね……魔道士団を構成する魔道士が十二名を超えたときには、通例として空位とされる第十三席次。その第十三席次に、ダイキ卿が就かれた。残酷だけれど、問われているわね。カイト卿の覚悟が」「……ええ、思ったより早かったですが……俺の覚悟が問われる局面ですね」「どうなさいます?」 ファセルの問いかけに対し、カイトは前を見据えたまま答えた。「……戦いましょう。俺は、トワゾンドール魔道士団の首席魔道士として遠征に加わりました。やらなきゃいけないことは、分かってるつもりです」「お父様と矛を交える事態にも、立ち向かう覚悟がお有りなのね?」「……はい。今の俺には、肉親よりも優先しなきゃならない使命があります」「結構。その覚悟が決まっているなら、わたしたちがカイト卿の矛となってさしあげましょう」「ありがとうございます。お願いします」 ファセルに向けて頭を下げたカイトの肩を、アクーラがグッと抱き寄せる。「このアクーラ・ウォークレットも付いてますからねえ。御安心召されよ、ってなもんなんですよお」「はい。ありがとうございます。心強いです」 アクーラの性格に救われた気がしたカイトは、固まっていた表情を微かに緩めて礼を述べた。 カレラはゆっくりとクラリティへ歩み寄ると、敵の主体であるラブリュス魔道士団に籍を置く魔道士たちの所在を訊ねた。「クラリティ卿。我々の敵となる魔道士たちは、今どこに?」「街の中央に位置する、広場に集合しています」「一般の兵は?」「後方支援に当たる一般の兵が小隊規模で帯同していますが、広場にはいません。ヒンドゥスターンの国軍に属する一般の兵が接収されることもなく、ラブリュス魔道士団と第六魔道士団に属するセナート帝国の魔道士だけが広場に集まっています」「そうですか。では、案内願えますか?」「はい。こちらです」 すぐさま首肯を返したクラリティの先導で、カイトら十名の魔道士で構成されたは四ヶ国の混合部隊
カイトら十名の魔道士で編成された遠征部隊を乗せた大型汽船は予定した航程を無事に進み、七日後となる四月十一日の朝に目的地であるベンガラの南東に位置する港湾都市チッタゴンの港に入港した。 セナート帝国側の抵抗を警戒した十名は、チッタゴンの港へ入港するのに合わせて甲板へ集合して哨戒に当たったが、港にはセナート帝国の魔道士はもとより、一般の兵の姿もなかった。「妙ですねえ……チッタゴンはどうでもいいってことですかねえ」 アクーラがぼそりとこぼした感想に、カレラはうなずきを返しながら答えた。「セオリーを無視するのはセナート帝国のお家芸だと聞いてはいたけど、実際に接すると気持ち悪いものね……ベンガラで迎え撃つ算段なのか、あるいは、すでに王都デリイに向けて全勢力で侵攻しているのか……」 ファセルが「どちらにせよ」と前置きを返してから、方針を口にした。「わたしたちの目的地が、ベンガラであることに変わりはないわ。早々に向かうとしましょ」 カイトたちを乗せた汽船は停泊の間を取らずに出航すると、ベンガラへの主要な交通手段として機能する深い河川を北上した。 何事もなく北上を続けた汽船は、昼前にはベンガラの河川港へと入港した。 カイトら十名の魔道士はチッタゴンに到着した際と同様に、甲板へ出て周囲を警戒したが、河川港にもセナート帝国の魔道士や兵の姿はなかった。 奇妙な静けさに対する気味悪さと拍子抜けを同時に感じながら、カイトはベンガラの河川港に降り立った。 河川港には最低限の着港に必要な作業員以外の人影はなく、警鐘だけが鳴り響いていた。「出迎えは警鐘だけですかあ。拍子抜けですねえ」 アクーラが全身を伸ばしながら感想をもらしたタイミングで、アクーラと共にメーソンリー魔道士団から遠征部隊に加わったエランが、前方を見据えながら警戒を促すようにアクーラへ声を掛けた。「その出迎えが、遅れて来たみたい」「おっと……あれえ? 一人ですかあ。というか、あの軍服……」 四ヶ国の筆頭魔道士団から選出された十人の魔道士に向かって、まっすぐに歩を進めるのはアパラージタ魔道士団の軍服を着たクラリティだった。 一人きりで四つの色が混合する十名の魔道士へ近付くクラリティの顔には、緊張の色がありありと表れていた。 アクーラはこちらに向かってくるクラリティを迎えるように、軽い足取りで歩み寄
天候に恵まれた四月四日。五ヶ国間での正式な締結を目前とする軍事同盟を構成する四ヶ国で、各々の筆頭魔道士団に籍を置く十名の魔道士で編成された遠征部隊を乗せた汽船は、予定通りに正午の時の鐘に合わせてウァティカヌス聖皇国の港から出航した。 無用の犠牲を避けたいというカイトの意向と、四ヶ国の筆頭魔道士団に所属する魔道士で編成された連合部隊という背景によって、後方支援に当たる一般の兵すら含まない十名の魔道士のみとなった遠征部隊。その規模には不釣り合いな聖皇国の手配した大型の汽船の船上では、出航直後から酒が振る舞われた。戦地へと赴く緊張を緩和させるためというのが一応の名目ではあったが、緊張した様子をみせるメンバーはいなかった。 中でも列強の筆頭魔道士団においてエースナンバーである第三席次を預かる魔範士、アクーラ、カレラ、ファセルの三人は前日の壮行会の余韻を楽しむかのように酒を酌み交わしていた。 三人の姿に触れたカイトは強者の余裕を垣間見た気がした。「カイト卿。飲んでますかあ?」 アクーラは声を掛けながらカイトに近付くと、右隣に腰掛けて半ば空いていたカイトのグラスにワインを注いだ。「あ、はい。どうも……」 カイトにとっての天敵。刃を交えるような事態は最優先で避けるべき存在である四人のうちの一人。 召喚した存在を憑依させることで自身を強化する反則級の魔道士であるアクーラが、肩が触れあう距離にいるという事態に、カイトは恐縮を隠すことができなかった。 カイトの反応を見たアクーラが、その豊満な胸を突き出してポンと右手で叩いてみせる。「このアクーラ・ウォークレットが一緒なんですから、安心して呑んでくださいよお」「はい。ありがとうございます。心強いです」「カイト卿はあ、いつでも、そんな感じなんですかあ」「そんな感じ、とは?」「えーとですねえ。冷静とはちょっと違ってえ、腰が低すぎる感じ?」「そうでしょうか?」 カイトが微苦笑を浮かべながら答えると、アクーラは語尾を伸ばす口調のままで指摘を口にした。「そうですよお。カイト卿は太魔範士で聖魔道士の首席魔道士なんですから、もっと堂々としてなきゃダメなんですよお」「魔力を持っているだけの駆け出しですよ、俺は」「いいですねえ。力への慢心が無いってのは、戦場では大事なことですよお。でも、力に見合う態度ってのが大事に
当初の見積もりよりも大幅に延びてしまった滞在に進んで付き合ってくれるだけでなく、独断と責められても文句の言えない今回の決断にも快く応じてくれるアルテッツァとセリカ、ステラの三人に向けてカイトは頭を下げた。「ありがとう……今回の遠征では太魔範士じゃなく聖魔道士として、ヒーラーの役割を果たしたいと思ってる。この身体は三人に預けます」 カイトの意思を聞いたセリカが「お任せ下さい」と朗らかな笑顔で答えながら、自分の胸をポンと叩いてみせる。 続けて「必ずお守りします」と答えたピリカも、やわらかな微笑みを浮かべてみせた。「お願いします」 三人に向けてもう一度頭を下げたカイトが、セリカとピリカの笑顔につられるように微笑む様子を見たアルテッツァが、会話を次に進める切っ掛けの仕草としてあごに手をやってから口を開いた。「それにしても……ファセル卿とカレラ卿、そして、あのアクーラ卿が同じ部隊に揃う姿を、この目で間近に見ることになるとは……当分は酒の席での話題にも困らないな」「その三人は、それだけ特別ってことか……」 あらためて今回の陣容を思い浮かべたカイトの呟きに、軽くうなずいてからアルテッツァが答えた。「ファセル卿とカレラ卿は西方を代表する魔範士として知られてるからね。アクーラ卿に至っては「鬼神」とも呼ばれた圧倒的な戦闘力で戦功を上げ続けた結果、出自やパトロンといった政治的な駆け引き無しに、格式を重んじるブリタンニア連合王国の筆頭魔道士団メーソンリー魔道士団の第三席次に就いてしまった。二十三歳で既に生きる伝説として語り種にもなってる御仁だ。それを抜きにしても、治癒魔法のみを行使するダイキ卿を含めても世界に二十人しかいない、魔範士が三人揃うだけでも凄いことだからね」 アルテッツァが挙げた理由の中でカイトが驚いたのはアクーラに関してではなく、ダイキについての事実だった。「なんか場違いでゴメン、だけど……父さんって、魔範士だったんだ?」 カイトの反応に驚いたアルテッツァは、目を丸くしてから明るい笑い声を上げた。「まさか知らなかったとは……いやあ、聖人の血筋には驚かされてばかりだ」「だよね……正直、父さんにはいまいち関心が薄いっていうか……掴めない存在だから考えないようにしてるっていうか……」 カイトの素直な打ち明けを聞いたアルテッツァが、同感を表すようにうん
遠征に自ら参加すると表明したカイトに対し、心配の表情を浮かべたヴァルキュリャが声をかけた。「カイト卿。卿は筆頭魔道士団の首席魔道士として貴国の国防を預かる身です。首席魔道士は国威の象徴として存在するのも役割の一つ。当然、それを承知の上での発言かとは思いますが……ここは、敢えて問います。本当に御自身が赴かれますか?」 カイトはゆったりとした頷きをヴァルキュリャに向けて返すと、努めて静かな口調で答えた。「ミズガルズ王国の現状を考えれば「俺が出る」のが最適解だと思います。俺は太魔範士であると同時に、治癒魔法を行使する聖魔道士です。俺が遠征に参加すれば、今回の遠征が持つ意味を担って戦地に赴く魔道士の方々の生存率は格段に上がります。それに、この場限りということで正直に打ち明けてしまうと、ミズガルズの国力は今回の同盟を結ぶ国の中で一段、低いのが現状です。ミズガルズ王国が同盟の中で役割を持つ、本当の意味で魔法国家として世界に認識されるには、首席魔道士として国威を背負う俺が直接、戦功を上げるのが最も分かりやすくて効果的だと考えています」 カイトの言い分を聞いたヴァルキュリャは「そうですか……」と短く呟き、理解を示しながらも心配の表情を変えることは無かった。 遠征に自ら参加する理由を打ち明けたカイトへの賛同を口にしたインテンサだった。「カイト卿の英断を尊重したいと私は考えます。さらに言えば、戦地へと赴く魔道士たちの安全を鑑みたカイト卿の思慮に感謝を申し上げる。卿の身の安全を優先するよう、同行することとなるカレラ卿には確と下命しておきましょう」 賛同を示してくれたインテンサに対して「ありがとうございます」と頭を下げたカイトの姿を見たシオンは、納得の表情を浮かべながら口を開いた。「わたしもファセル卿へしっかりと伝えておきます。今回の遠征を担う主要な顔触れは、以上で決定としてよろしいかと思いますが」 確認する間を置いたシロンが反論の無いことを受けてクーリアへと目配せすると、首肯を返したクーリアが会談を締めた。「遠征に関する四国の賛同と、遠征を担う魔道士についての人選も得られましたので、この会談はここまでとしたく思います。遠征の準備が整い次第、聖皇国から出航するという事で手配に入りたいと考えます。聖皇国としても出航までは全面的に協力することを、この場で約束いたします」
ヒンドゥスターン王国への侵攻を開始したセナート帝国の部隊が、ヒンドゥスターン王国の北東に位置する重要拠点であるベンガラを占拠したという報せは三日後の三月二十七日、ウァティカヌス聖皇国に滞在するカイトの元に届いた。 セナート帝国による侵攻の報を受けて、翌日の昼過ぎには対応を協議するための会談が聖皇の宮殿を会場として用意された。 聖皇国に滞在して同盟の締結に向けての調整に動いていたカイトら四名の首席魔道士と、宰相に就いた直後で王都を長く離れることが難しいドゥカティに代わり、聖皇国への訪問という形を取りながら滞在しているビタリ王国の外相ビモータ。そしてオブザーバーとして議事の進行を兼ねるクーリアの六名のみが会談に参席した。 進行役を兼ねるクーリアの、状況を整理する説明から会談は始まった。「三月二十四日。早朝の宣戦布告から、わずか数時間後にはセナート帝国のラブリュス魔道士団に在籍する六名、及び第六魔道士団の十二名で編成された部隊がベンガラへと攻め入りました。セナート帝国の南方元帥として知られるアリア卿が指揮する部隊は、ヒンドゥスターン王国のアパラージタ魔道士団に属していた二名の魔道士と、ブリタンニア連合王国のメーソンリー魔道士団から派遣されていた二名の魔道士を討ち取り、重要拠点であるベンガラの街をその日のうちに占拠しています。その際、アパラージタ魔道士団の第三席次に就いていたクラリティ卿は投降したとの事。まず、未だ正式な締結には至っていない同盟として、動くか否かを協議するべきかと考えます」 クーリアが説明を締めたのを受けて、シロンが蒼い瞳をヴァルキュリャへと向けた。「ブリタンニア連合王国としての正式な表明を待つまでも無く、メーソンリー魔道士団としては動かざるを得ない事態かと思いますが」「はい。シロン卿の仰る通りです。メーソンリー魔道士団は動きます」 シロンの問い掛けに対し、ヴァルキュリャはすぐさま明言をもって返した。 インテンサが長く骨張った両手の指を組み合わせたまま口を開く。「五国間の同盟、とは言っても実質は四国による軍事同盟ですが……いずれにせよ軍事同盟については未だ実務レベルでの協議中であり、正式に締結はされていない。しかし、その協議に要する時間を狙ったかのように、同盟の主たる仮想敵国であるセナート帝国が起こした侵攻であること。宣戦布告と同時に
刹那にも思える短い時間で四つの命を奪い、次の刹那には自分の生殺与奪を握ったベルゼブブが消えたことで、クラリティは浅くなっていた呼吸を整えるように短く息を吐いた。 無邪気だからこそ残酷な子供の笑みを浮かべて目の前に立つ可憐な少女が、十六歳にしてセナート帝国で四方を預かる「四人の元帥」の一人として南方を任されている天才魔道士でありながら、戦闘狂として知られることで「狂乱の魔範士」とも呼ばれる存在だと、頭では理解できてもクラリティの感情は理解に追い付いてくれることはなかった。 「一つだけ……お伺いしても、よろしいですか?」 緊張で喉が詰まりながらも問い掛けを口にしたクラリティに対し、アリアは屈託のない笑みを向けて応じた。「うん。別に一つじゃなくてもいいよ? なに?」「今回の侵攻、その主な目的は、ヒンドゥスターンの併合では無いのですか?」「そうだよ。まあ、表向きはソレ? ってことになってるけど。ここに即席の仲良しごっこ同盟をおびき寄せるの。今回はそれがメインディッシュになるんだよね」「軍事行動そのものが目的、だとおっしゃるのですか?」「その把握で合ってるよ。まあ、卿は見物してればいいからさ。滅多に観れないショーが拝めると思うよ?」「……ショー、ですか?」「そう。遊びみたいなもんだよ。ボクにとって、きっと陛下にとっても、ね」 軽い口調でポンポンと答えるアリアの言葉は、クラリティにとってどこか異界に棲む妖怪の言葉のように聞こえた。 真相を隠そうとしているのではなく、隠さずに語る真相そのものが、自分の理解できる範疇を越えているんだろうとクラリティは感じた。「アリア卿と、皇帝陛下にとっての、遊び……には、この侵攻自体が含まれる、という意味ですか?」「陛下が遊びって言うのを直接、聞いたことはないけど。ちょっと考えれば分かるよ。本気で攻め込んじゃえばスグに飲み込めたロムニアとかピャストを残しておくために敢えて膠着させてた西方戦線とか、落とすならもう絶好のタイミングだった二年前のミズガルズ、とかさ? どう考えても面白くなるタイミングまで待ってるでしょ。陛下って」 理解できる範疇を越えていると感じた自分の直感は当たってしまったんだと、クラリティは諦観にも似た落ち着きを取り戻した。「アリア卿にとっても、戦争は「遊び」なのですか?」「戦争そのものは、遊び
ヒンドゥスターン王国内では精鋭とされる魔錬士として、十二名から成る筆頭魔道士団の席次に就いていたフリードとビートを、圧倒的な力量差であっさりと処理したアリアは顔色ひとつ変えることなく、ベルゼブブを召喚したままでツカツカと街の中心部に向かって歩き続けた。 アリアの軽快な足取りに合わせて、リラックスした表情を浮かべるヴァイオレットとシルビア、鋭い視線で周囲を警戒する第十四席のギャランが後に続いた。 ベンガラに暮らす住民たちは既に建物の中に引き籠もっており、無人となった街には警鐘だけが鳴り響いていた。 アリアは街の中心に位置する、大きな噴水のある広場で足を止めた。「さて、と。ここで待とっか。人の姿は見えないけど警鐘は鳴ってることだし、あっちから来てくれるでしょ。暑くてもう、歩く気しないしさ」 アリアが軽い口調のまま待機を指示した数分後。 噴水のある広場からほど近いベンガラの役場に詰めていた、メーソンリー魔道士団の軍服を着た壮年の魔道士が二人と、アパラージタ魔道士団の軍服を着た若い女性魔道士が広場に駆けつけた。 緊迫した様子で近付いてくる三人の姿を見たアリアは待ちくたびれた口調で「やっと来た」と呟きながら、呑気なあくびを漏らしてみせた。 背恰好の似た壮年である二人の魔道士は、アリアが召喚しているベルゼブブを目視すると顔を見合わせ、うなずき合うと同時に揃って召喚獣の名を喚んだ。「「タロース!」」 二人の重なった詠唱に応じて出現した、二つの直径二メートルほどで緑色に発光する魔法陣から、全身が青銅色の装甲で覆われた身長三メートルほどの人型をした二体のタロースが姿を現わす。 二体のタロースを見たアリアは、退屈であることを隠さず口にした。「ベルゼブブに対して耐刃性能に優れるタロースを選んだ、ってことなんだろうけど……まあ、土の属性魔法を使う魔道士として間違ってないだけで、平凡すぎるよね」 壮年の魔道士の一人が、泰然とした様子のアリアに奇妙な違和感を覚えながらも声を張り上げた。「ラブリュス魔道士団が、ベンガラの地に何用だ!」 切迫が声に現れている壮年の魔道士とは対照的に、アリアがくつろいだ口調のまま答える。「えーと、アルナージ卿かな? それともカマルグ卿? まあ、どっちでもいいんだけど。セナート帝国はね、今朝、ヒンドゥスターン王国に宣戦布告したんだよ
「宣戦布告も済ませた戦争で、この戦い方が国際法ギリギリなのは承知してるけど。面白くなさそうだったし、まあ、お互い最低限の口上は済ませてたし、ってことで。遅いんだもん。召喚前に「ちくしょう」とか言ってるようじゃ問題外だね」 アリアは吐き捨てるように呟くと、ベルゼブブを召喚したまま軽い足取りで歩き出した。 ラブリュス魔道士団に籍を置く三名が無言でアリアの後に続く。 けたたましい警鐘が鳴り響く中、アリアがベンガラの中心区画に足を踏み入れたタイミングで「クッレレ・ウェンティー!」と風の属性で基本となる魔法を詠唱する少年の声が、アリアたちの耳に届いた。 自身の速度を強化するクッレレ・ウェンティーによって高速で駆ける少年が、アリアに向かって一直線に接近する。 アパラージタ魔道士団の軍服を身に纏う少年の、左肩でたなびくマントに標されたナンバーはⅫだった。「シーカ・ウェンティー!」 少年は駆ける足を止めること無く詠唱を済ませ、風の力で成形された短剣を右手に現出させる。「ラーミナ・ウェンティー!」 少年は立て続けに風の属性魔法を詠唱するのに合わせて、アリアを指すように左手を突き出した。 風の力を刃状に成形して射出するラーミナ・ウェンティーを行使した少年の、左手から撃ち出された風の刃が回転しながら高速でアリアに迫る。 アリアは何ら反応することなく、歩く足を止めることさえしなかった。 平然と歩き続けるアリアに代わって動いたのはベルゼブブだった。 互いに近付いているアリアと少年との間に瞬間的に割って入ったベルゼブブは、脚の先に発生させた風の刃で少年が放った風の刃を難無く叩き落とした。「チッ……!」 舌打ちした少年は、右手に握っているシーカ・ウェンティーによって現出させた風の短剣を投擲した。 ベルゼブブが短剣を叩き落とす隙に、少年がアリアとベルゼブブから距離を取る。「うん。まあ、なかなかと言っていい動きかな? キミ、名前は?」 アリアが戦闘の緊張を欠片も含まない口調で、少年の魔道士に声をかけた。 少年はベルゼブブから目を離さずに答えた。「ビート……アパラージタ魔道士団、第十二席次のビート・ハセックだ!」「ふーん。ボクはアリアだよ。で、ビート卿。称号はお持ち?」「……魔錬士、だ」 ビートがベルゼブブを警戒しながらも素直に答える。「そっかあ……そ